映画制作のきっかけ
もう15年くらい前になりますか…『悪人』(’10)が公開された頃、歌舞伎の女形を中心とした映画を撮りたいと思ったことがありまして。自分なりにリサーチをするなどして歌舞伎に触れていったんですが、今にして思えば、それが自分にとっては『国宝』の〝卵〟だったのかもしれないですね。実在の方をモデルにしたストーリーを考えていましたが、なかなか手がかりをつかめず、ハードルの高い題材であると実感することになりました。
その後、ある時吉田修一さんとお話をした際、「歌舞伎の映画を撮りたいと考えていたんですよ」と明かしたところ、ちょっと興味を示してくださって。とはいえ、そこで話が急速に進んだり膨らんだわけでもなく(笑)。それからさらに数年後、吉田さんが歌舞伎を題材にした新聞の連載小説をスタートさせると聞いて、どのように歌舞伎を描かれるのか、どんな物語になるのか純粋に楽しみにさせてもらって。なので、小説が刊行されてすぐに『国宝』の映画化に動き出したわけではないんです。以前の企画が難航した経験もあって、様子を見つつ…何となく「映画にしてはどうか」という気配が蒸溜されていく中で、少しずつ慎重に実現化を探っていったという感じでした。
出演キャストについて
ただ、一つだけ確かだったことがあって。それは『国宝』の主人公・喜久雄を演じるのは吉沢亮しかいない、ということでした。大げさに言えば、彼がいなければ映画として立ち上がらないし、彼がいることで出発できるという─〝吉沢亮ありき〟から始まっているんですね。彼が演じる喜久雄が物語の軸/幹となるのは必然で、その半生を描くにあたってエピソードを満遍なく選定すると、単なるダイジェストになってしまう。紆余曲折、山あり谷ありの半生を経て喜久雄がどこにたどり着くのか、その軌跡をたどる流れがつくれれば映画としてカタチになると思ったんです。となると、やはり筆頭になるのは俊介との関係性であり、花井半二郎をはじめとする大垣家の一族、そこに絡んでくる春江といった存在がクローズアップされてくる。そして、何よりも歌舞伎という題材と正面から向き合う必要があるわけです。ストーリー的には血筋の呪縛や、極道の息子である喜久雄が歌舞伎の世界に飛び込んでくるといった要素が織り込まれていますが、光と影のように表裏一体の2人=喜久雄と俊介が、どうやって互いの魂を〝交歓〟させていくかを舞台上で見せていくことに、本質があると考えていたんですね。そのためにもどの演目を選び、その演目の中でどこを抽出し、どのように2人の〝魂の交歓〟や「ともに歩む」姿をセットアップしていくか、脚本を開発しながら同時に考えていって。さらに俊介を誰に演じてもらうかが非常に重要な要素で、プロットの時点で人選を進めていきました。主役を務める吉沢くんと並び立つほどの存在感を持った俳優でなければならない。そういう意味でも一番キャスティングに悩んだ役でもありましたね。結果的に横浜流星に演じてもらいましたが、『流浪の月』(’22)で組んだから引き続き─というものでもなくて……候補に挙がった役者の中から絞りに絞って、プロデューサー陣とも相談をしながら、「流星のひたむきさやストイックな姿勢に、もう1度懸けてみよう」と、心中するような気持ちもありつつ、彼に白羽の矢を立てました。
ちなみに、少年時代の喜久雄と俊介を演じた黒川想矢くんと越山敬達くんはオーディションで選んでいます。『怪物』(’23)の公開直後でしたが、黒川くんは何かを見つめる時の眼差しの強さ、簡単に納得しそうにない複雑さを湛えた瞳に引き込まれて決めました。また、どことなく孤独感が漂っていて……彼独自の世界があるんです。越山くんは対照的に、思わず構ってしまいたくなる〝甘さ〟を感じさせてくれたのが、御曹司の俊介と重なったと言いますか。まだ『ぼくのお日さま』(’24)が公開される前で、芝居の経験値は浅かったんですけど、黒川くんと対照的な温度感が良かったんです。今や注目度の高い2人ですが、オーディションは2年前なので…配役は完全に偶然ですね(笑)。


“歌舞伎役者”たちの映画
その2人=喜久雄と俊介が身を置く歌舞伎の世界には、単に芸を引き継いでいくにとどまらず、人間を繋いで──無形のものを時代を超えて残していくことに特殊性がある。僕自身、最初に惹かれたのは女形で、それこそ『国宝』の原作にも書かれていますけど、何百年も前から男でも女でもなく、どことなく異形感というか…異質にして希有な存在であり続けていることが面白いなと感じたんです。それでいて、ものすごく品位のある色気と言いますか、ハッとさせられる色香を出せる。それは稽古を積み重ねてきたことで身体の中に生まれるものなのかは分かりませんが、吹替を立てずに本来は歌舞伎役者ではない吉沢亮や横浜流星に挑んでもらったのは、『国宝』という小説をベースにした映画としては、まさしく内面的な到達点をめざすことを優先すべきだと思ったからなんです。そこに対する迷いは1ミリもなかったですし、喜久雄が生涯を通じて探し求めている〝景色〟は、歌舞伎という極めて難しい題材に挑む吉沢亮の視線の先にも見えるのではないか─そんな想いを今は抱いていたりもするんですよね。